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片岡剛志著 「奇跡の経済教室 基礎知識編」 [読書感想]

奇跡の経済教室 基礎知識編
片岡剛志 著 KKベストセラーズ 刊 2019.04.22

本書は、第1部では「需要の過不足を原因とするインフレとデフレ」を中心として日本経済の現状を読み解いている。第2部では、現代経済学の誤りを解説している。

【構成】
はじめに
第1部 経済の基礎知識をマスターしよう
第1章 日本経済が成長しなくなった単純な理由
第2章 デフレの中心で、インフレ対策を叫ぶ
第3章 経済政策をビジネス・センスで語るな
第4章 仮想通貨とは、何なのか
第5章 お金について正しく理解する
第6章 金融と財政をめぐる勘違い
第7章 税金は、何のためにある?
第8章 日本の財政破綻シナリオ
第9章 日本の財政再建シナリオ
第2部 経済学者たちはなぜ間違うのか?
第10章 オオカミ少年を自称する経済学者
第11章 自分の理論を自分で否定する経済学者
第12章 変節を繰り返す経済学者
第13章 間違いを直せない経済学者
第14章 よく分からない理由で、消費増税を叫ぶ経済学者
第15章 主流派経済学は、宗教である

本書のまとめ
1. 平成の日本経済が成長しなくなった最大の原因は、デフレである。
2. デフレとは、「需要不足/供給過剰」が持続する状態である。インフレとは、「需要過剰/供給不足」が持続する状態である。
3. 新自由主義は、本来、インフレ対策のイデオロギー。デフレ対策のイデオロギーは、民主社会主義。
4. 平成日本は、デフレになったのに、新自由主義のイデオロギーを信じ、インフレ対策(財政支出の削減、消費増税、規制緩和、自由化、民営化、グローバル化)をやり続けた。
5. 貨幣とは、負債の特殊な形式である(「信用貨幣論))
6. 貨幣には、現金通貨と預金通貨がある。
6. 「現代貨幣理論」の貨幣理解のポイント
    国家は、国民に対して納税義務を課し、「通貨」を納税手段とすることを法令で決める。
8. 量的緩和(マネタリー・ベースの増大)では、貨幣供給量は増えない。
9. 財政に関する正しい理解(「機能的財政論」)
10.財政赤字を拡大しても、それだけでは金利は上昇しない。
11. 国内民間部門の収支+国内政府部門の収支+海外部門の収支=0
12. 税収=税率×国民所得
13. 政政策の目的は、「財政の健全化」ではなく、デフレ脱却など「経済の健全化」でなけてばならない。
14. 自由貿易が経済成長をもたらすとは限らないし、保護貿易の下で貿易が拡大することもある。
15. 主流派経済学は、過去30年間で、進歩するのではなく退歩した。非主流派経済学者は、一般均衡理論という、信用貨幣を想定していない非現実的な理論を信じている閉鎖的な集団の一員である。
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【考察】
本書の内容は「現代貨幣理論(MMT)」と同じである。それで「反MMT」の側に立って批判する。
米山隆一氏の「MMT(現代貨幣理論)なんてあり得ない!」によれば:
「 ***この中では、MMTは「地動説」的発想の転換であるとして、以下のような主張がなされています。
  1.銀行の預金が貸し出されるのではなく、預金は貸し出しによって生まれる
  2.通貨発行権を持つ国は財政赤字では破綻しない
  3.財政赤字は民間の貯蓄を増やす
  4.財政赤字によって通貨供給量が増える
  5.財政赤字は金利上昇をもたらさない
  6.財政赤字がインフレを招いたら、財政赤字を止めればいい(やめる事が出来る)
ところが、このうち1~5は標準的経済学でも同じ結論になります。」
そして、「MMT批判者の争点は6になる」としている。

〇市場経済とマネー
市場経済で取引されるものは、究極的には「物(財・サービス)」と「物(財・サービス)」の交換であり、マネーはその交換を媒介するだけである。市場経済のプレイヤーは、なにがしかを生産・販売してマネーを手に入れ、そのマネーで必要なものを購買し消費する。物(財・サービス)は生産され消費され続けるが、マネーはプレイヤーからプレイヤーへと流通し続ける。それゆえ市場経済のマネーは「通貨(流通貨幣)」と呼ばれる。

ある実物経済の規模を支えるのに必要な貨幣量は定まっている。
実物経済を拡大するには、それに応じた貨幣の供給が必要である。それ以上の貨幣を供給しても、それは実物経済で流通せずに資産市場に流れる。
実物経済から貨幣を引き上げれば、実物経済の規模は縮小せざるを得ない。
一方、物(財・サービス)とマネーの交換取引だけでは市場経済は「均衡しない」

〇市場経済と財政の関係
政府を市場経済に組み込む場合、政府は「行政サービス」を提供してその費用の対価を「税」として徴収することで、均衡を保つ。

市場での取引は、「ゼロサム」である。著者が第9章で説明している通り、

    国内民間部門の収支+国内政府部門の収支+海外部門の収支=0

海外部門の収支≦0 つまり黒字国であれば、国内民間部門は、政府財政支出を含めて、支出を賄うだけの「購買力」を生み出していることを意味する。

日銀による財政ファイナンス以前にも、国債を国内で消化できたのは、日本が黒字国で、政府支出を賄うだけの生産力、あるいは「購買力」があり、それで国債を購入して「購買力」を政府に渡し財政支出を支えていたからだ。
この意味で、「政府の財政赤字がGDPの〇〇%を超えたら問題だ」とか、「毎年の財政赤字をGDPの〇〇%内に収めれば問題ない」などというのは、全く根拠がない。

この状態で政府が赤字国債を累積し続けることになったのは、国内生産力が生み出す収入あるいは「購買力」の政府への分配(つまり税収)と財政支出との不均衡のためであり、政府財政赤字の結果として生じる民間黒字を税として徴収していれば、赤字を累積させる必要はなかった。「永久に借り続けて返さない」のと「徴収する」のは同じことで、徴収した方がはるかに良かった。 プライマリーバランスを取るとは、正にそうすることである。

〇不均衡の累積
政府の赤字財政が継続することは、”不均衡”の累積である。中央銀行が財政ファイナンスを続ければ、その分市場にはマネーが累積する。
この累積マネーは実物市場で流通せずに、「退蔵」されるか、あるいは金融・資産市場に流れ、金融資産・地価などの上昇を起こす。これらは、「物価」を構成する品目には含まれていないから、「物価上昇はない」とされるが、格差の拡大、居住費の増大を引き起こす。

不均衡の累積は、最初の数年間は目立たないが年数を重ねるに連れて弊害が生じ、そのときにはもう「後戻りはできない」。

累積赤字分のマネーは実物市場で流通しているのではないから、実物市場に対する課税(所得税、消費税など)で回収しようとしてはならない。そんなことをすれば実物経済を圧迫し、不況に陥る。では、どのようにして回収すべきか?資産課税できるのか?放っておいて何時か高インフレが起きて解決してくれるのを待つのか?それは財政赤字を累積させた人たちに責任をもって答えてもらおう。

累積赤字を減らす一つの方法は、貿易黒字を拡大し、それを税で徴収することである。「米国民が”馬鹿みたいに”過剰消費する」のを期待し、「中国政府が”馬鹿みたいに”過剰投資する」のを期待出来たら可能かもしれないが、それは過去の話だ。

〇「インフレが起きたら課税すればよい」というが、どうなればインフレになるか
著者が第1章で説明している通り、物価の上昇・下落は「需要と供給の関係」で決まる。これは、実GDPが潜在GDPに近づけば、需給が逼迫して物価上昇に転じることを意味する。更に需要が増えれば、生産性向上がない限り、国内生産では追いつかずに輸入増となる。

政府が「物価上昇を引き起こさずに財政を拡大できる限度」とは、GDPギャップを埋める範囲内で、(同じことだが)対外赤字を出さない範囲内ということになる。

市場経済は競争で成り立っているからその基調は「供給力過剰」である。したがって多少の需要増加では物価は上昇しない。戦後復興期のような時代を別にすれば、物価が上昇に転ずるのは、主に石油の輸入物価上昇など専ら外部要因による。それは「増税すれば済む」ものではない。

一方で、日本の雇用の現状は、(雇用の質は別として)完全雇用に近いから、財政による事業の更なる増加は民間経済に対する労働力の「クランディングアウト」を引き起こす。そして、新たなインフラ整備のような「新たな取引」を生み出すもの以外の政府事業は、民間経済の自発的な成長に何の効果もないから、(何らかの状況で民間の自発的成長が始まらない限り)財政赤字は半永久的に続けることになり、それを財政ファイナンスし続ければ、市場に供給されるマネーは無限大に向けて増大し続け、格差を広げ続けることになる。

もし政府がそれ以上の財政支出をすれば、民間が支出を減らさざるを得なくなり、国民の暮らしを圧迫するすることになる。(戦時経済がその例。)
個人であろうが(政府ではなく)国であろうが、中期的に見れば、生産力あるいは収入以上の支出はできないという当たり前のことである。

〇 奇跡は起きない
MMTは「奇跡」を起こさない。マネーをつくり出して財政を穴埋めしようとする誘惑は、今に始まったことではない。ジョン・ローのミシシッピ計画(資産に基づくマネー発行)、貨幣改鋳(品質低下)、グリーンバック紙幣(マネープリント)、***。実物経済の拡大を伴わないマネーだけの限りない増加はいずれ破綻する。
一方、よく言われる「ハイパーインフレ」は、マネープリントから起きたというよりも、実物経済における生産・流通システムの破壊に起因する。

考えるべきは、どのようにして必要とする生産力、従って購買力を(労働人口減少の中で)維持あるいは増加させるか、そして、政府が必要な税額をどこから(負担できるところから)徴収するかという実物経済の地道な努力であって、「奇跡」を願っても役に立たない。
現状それが難しいのは、「経済はグローバル、政治はローカル(国別)」という中で、政府が国際化した企業をコントロールできないからである。
しかし、「マネーを作って解決」しようとするのは、目先の安楽を願う「麻薬」に手を出すことである。

MMT を歓迎しているのは、相異なる二つのグループで、
一つは、金融業界。金融業界は金融市場にマネーが流入し続けることで、キャピタルゲインを得られる。マネーが流入しなければ、ゼロサムゲームになってしまう。それゆえ、「理屈は何であれ」マネーを増加させることは全て歓迎する。
もう一つは、「反緊縮!」を掲げる急進左派。本来は、一次分配の格差是正を目指すべきなのだが、それを「待っていられない」と MMT という「麻薬」に手を出そうとしている。




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高橋洋一 著 「「年金問題」は嘘ばかり」 [読書感想]

年金問題」は嘘ばかり ダマされて損をしないための必須知識 高橋洋一 著 PHP親書 2017.03.29 初版発行


【構成】
プロローグ 「年金が危ない」と強調して「得をする」のは誰だ?
第1章 これだけで年金がほぼ分かる「三つのポイント」
第2章 「日本の年金制度がつぶれない」これだけの理由
第3章 年金に「消費税」は必要ない
第4章 欠陥品「厚生年金基金」がつぐれたのは当然だった
第5章 利権の温床 GPIF は不必要かつ大間違い
第6章 「歳入庁」をつくれば多くの問題が一挙に解決する
第7章 年金商品の選び方は、「税金」と「手数料」がポイント


【考察】
著者の主張について:

●公的年金は賦課制・マクロ経済スライドをしているので、公的年金が破綻することは無い

著者の言う通り、賦課制で現役からの徴収額を引退世代に分配するのだから、その意味では破綻はしないかもしれない。しかしこれは、「所得代替率4割(あるいは5割)」が確保でき「年金で生活できる」ことを意味しない。
著者は、必要なことは経済成長だと言っているが、それが出来ていたら誰も心配はしない。2017年の時点で、未だ安倍政権に期待をしている(p.98-99)とはどういうことか?
少子高齢化時に必要なことは、D. アトキンソン氏が言うように、経済成長つまりGDPを拡大することよりも、「生産性を上げる」こと。つまり、少ない労働力で現在と変わらない付加価値を生産し、それを引退世代にも(所得代替率4割ないし5割で)分配する税制上の仕組みにすることだ。

●GPIF は不必要かつ大間違い
賦課制のはずの公的年金でなぜ百何十兆もの「積立金」があるのか不思議でならなかったが、少しは分かった。これは言うなれば、「引退世代」から「将来世代」への移転だ。この積立金の最大の問題は、「どのように運用するのか」ではなく「どのように使うのか」が決まっていないことにある。
著者の言う通り、GPIF は廃止すべきだが、株式を止めて国債にしろというのは:
「積立金はリスクヘッジののために株式運用必要」(p.151)という著者の主張と矛盾する。
GPIF の持ち株を短期間に大量に売りに出したら、株式市場はどうなるか?株式は「買うは良いよい売るのは怖い」
国債で運用するにも、日銀が国債を放出しないとならない。そうしたら、安倍・黒田金融緩和と逆行してしまう。出来るか?「物価連動国債」「変動利付国債」など発行されるか?「変動利付国債」が発行されても黒田日銀の「ゼロ金利政策」が続く限り意味がない。

● 歳入庁
歳入庁を設けるのには賛成。財務省が「内閣府歳入庁」に反対するなら、「財務省歳入庁」にすれば良いのではないか?内閣府は「省庁間の調整役」であって「実務機関」を持つべきではない。



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岩本充 著 『金融政策に未来はあるか』 [読書感想]

金融政策に未来はあるか 岩本充 著 岩波新書 1723 2018.06.20 初版発行

【構成】
はじめに
第1章 日本の経験
  1.高度成長とその終わり
  2.流動性の罠とインフレ目標論
  3.そして異次元緩和へ
第2章 物価水準の財政理論
  1.誰が貨幣価値を支えているのか
  2.物価水準の財政理論と金融政策の役割
第3章 マイナス金利からヘリマネまで
  1.成長の屈折と自然利子率の問題
  2.マイナス金利政策の意味と限界
  3.ヘリマネはタブーか
第4章 金融政策に未来はあるか
  1.貨幣の最適供給問題
  2.仮想通貨から考える
  3.通貨が選択される時代で

【考察・感想】
 始まりは、2008年リーマン・ショックに端を発した金融危機。米・EUが金融緩和に転じたのに対して、(既に緩和をし尽していたと当時の白川日銀は考えていた)日本は、(産業界から見れば)日銀の無策のために空前の円高に苦しむことになった。そこで白川日銀非難の大合唱となった。
  2013年、「白川日銀」に代わって「黒田日銀」が期待を担って登場し「異次元の緩和」が始まった。

  その結果、確かに円安と株高が実現し、それにより輸出大企業は空前の利益を上げた。
  他方、黒田日銀約束の2年が経っても2%の物価目標は達成できず、達成目標を何度先送りしても達成できていない。

 この間に、『経済政策を売り歩く人々』(P. Krugman の著書の日本語題名を借用)が、

   ■ 「クルーグマンのインフレ目標」(p.18)
   ■ バーナンキの提言(p.32)
   ■ シムズ論(物価水準の財政理論、p.36)
   ■ サマーズの「長期停滞論」(p.80)
   ■ ターナーの日銀保有国債消却論(p.111)
   ■ ヘリコプターマネー論(P.112)
   ■ スティグリッツの政府紙幣論(p.117)

等々、日本のデフレへの処方箋と称して口を挟んできた。幸い今のころどれも採用されていないが。

 黒田日銀の緩和政策は続き、誰が考えてももはや「真っ当な後戻り」は出来ない。緩和の出口は「誰も考えたくない」、唯々先送りの状況が続いている。
  こうして溢れ続ける法定貨幣はいつか制御不能のインフレを起こして紙くずになるかもしれない。そうした事態に対応するものとして仮想通貨が登場してきた。仮想通貨が「通貨」として成功しているとは言えないが。

  この著書に登場する諸説・理論を見ていると、「人間の体を血量と血圧だけで処置しようとする医者」を想像したくなる。出血して血の量が減っていれば、(止血ではなく)輸血せよ。血の巡りが悪ければ、(障害を取り除くのではなく)血圧を上げよ。・・・

 実体経済から現代経済の現状を見ると:

  ■ グローバル化された開放経済では一国の経済政策で自国の経済を完全にコントロール
    することは    できない。
  ■ 世界的に経済成長が低下・停滞している主要因は、経済成長の主要因の人口ボーナス
    (人口増加)が減った、あるいは、なくなったため。
  ■ 格差拡大とその結果の過剰供給力と過少購買力
  ■ 日本の長期停滞の主要因は賃金デフレ、大企業の内部留保
  ■ 世界的な赤字財政のため、市中には流通から外れた緩和マネーが金融市場に溢れ、
    経済を攪乱ている。
  ■ 金利の低下は(投資)マネー需要がないため。
  ■ 中央銀行がベースマネーを増やしても、国債購買か、資産市場に向かうか、市中銀行
    に滞留するだけで、実体市場の投資には向かわない。

こうした状況下で、 中央銀行の金融政策だけでデフレを克服可能か?
出来る訳がない。そもそも、黒田日銀の異次元の緩和政策は、「デフレは貨幣的現象」(p.35)、「物価を上げれば経済が良くなる」(p.9)という誤った根拠に基づくものであった。

今や「市場(マーケット)」と言えば金融市場を指し、天気予報以上に「株価と為替」がニュースになっている。中央銀行は「市場との対話」が重要と、当然のように語られている。『金融が乗っ取る世界経済』(Ronald Doreの著書の題名)ならぬ『金融が乗っ取った黒田日銀』。

金融業界は、金融市場にマネーが流入し続けることで、ゼロサムゲームにならずにキャピタルゲインを得られる。それゆえ金融業界の言うことは唯一つ、「マネーを増やせ」。「景気が悪ければマネーを増やせ」「景気が動かなければマネーを増やせ」「景気が良ければマネーを増やせ。」結局、黒田日銀は金融業界を潤しているだけだ。

なすべきことは、中央銀行を金融業界から実体経済に取り戻すことだ。


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堀越豊裕 著 「日航機123便墜落 最後の証言」 [日航123便事故]

日航機123便墜落 最後の証言
堀越豊裕 著 平凡社新書 885 2018.07.15 初版

【構成】
プロローグ - 新聞へ恩リークを告白した男
第1章 御巣鷹という磁場
第2章 米紙にもたらされたリーク
第3章 ポーイング社長の苦衷
第4章 消えない撃墜説を検証する
第5章 墜落は避けられなかったか
第6章 スクープ記者たちの三十三年
あとがき


【感想・考察】
日航123便の墜落事故については、事故後30年目の2015年にテレビの特集や、本書でも引用されている『日航機事故の謎は解けたか』(花伝社)などの著書が出た。本書をざっと読んでみて、「新事実」が出たわけではない33年目の今年に、この本を出す意義はどこにあるのか?一作年来、青山透子氏の著書が出て、「異説」を唱えているのに対して、”あとがき”にあるように、「・・・ 撃墜・誤射説までもが浮上する現状に終止符た打たれればいいと願う。」ためか?

しかし、この本を読んでみても事故調の見解や当時の自衛隊の言動に納得がいくわけではない。これで終止符というわけにはいかない。疑問は疑問として残しておいたほうがずっとよい。

1.なぜボーイング社により圧力隔壁の上下の接合に誤った修理がなされたかのか?

普通に考えれば、米国の作業員は(正しかろうと正しくなかろうと)指定通りに作業するものだ。作業員は、本来すべき圧力隔壁に上下の縁を2列リベット打ちできなかったから、それを現場技術者に伝え、現場技術者から間に板を挟む指示を受けた。それでも何か問題があれば、再度技術者にそれを伝えるのではないか?また、このような現場指示で作業変更がなされた場合現場技術者はその作業に最も関心を持つはずであり、もし作業員が勝手な変更をしたとして、技術者が作業結果を確認しないということがあるのか?作業員が挿入板を切り始めたら「何をしているのか?」と聞かないものだろうか?
このような問題の検証には、修理を指示した側と実際に修理をした側の両方の証言を聞く必要があり、一方の側の証言だけでは疑問符を消すことはできず、無理に消す必要もない。

2.「急減圧」問題

著者は「急減圧という言葉が独り歩きしている面もある」(p.170)というが、
墜落事故の直接の原因は、圧力隔壁の破断ではなく、垂直尾翼が破壊したときに4系統の油圧配管全てを破断して油圧がなくなり、操縦不能になったことである。圧力隔壁が破断しても、その程度によっては必ずしも垂直尾翼の破壊には至らない。垂直尾翼が破壊されなければ、これほどの事故には至らなかったかもしれない。
垂直尾翼の破壊が、圧力隔壁の破断部からの与圧空気の吹き出しだけで生じたとするのが事故調の「急減圧」説である。もし事故調が推定したほどの急減圧でなければ、垂直尾翼が破壊したのには別の要因も加わっていた可能性がある。例えば、

  ○ 垂直尾翼の強度が元々不足していた
  ○ 1978年の尻もち事故で生じた機体の歪みなどで垂直尾翼の強度が低下していた
  ○ 何らかの外部的な力が加わった

急減圧であったか無かったかは、「乗客の感覚」だけでなく、「客室高度警報」の鳴動の仕方からも論じられる。すなわち、客室高度警報(客室の気圧が高度 10,000ft 相当以下に下がったときに鳴動する)は、衝撃音の2秒後に1秒間だけ鳴動して停止し、停止の27秒後に再度鳴動し始めて鳴動し続けた。急減圧があったのであれば、27秒間鳴動停止したのがイレギュラーであり、急減圧でなければ最初の1秒間鳴動したのがイレギュラーである。
事故調は警報音が約1秒間鳴動後約27秒間停止したことについては「その理由を明らかにすることはできなかった」(事故調報告書 付録 p.160)で済ませている。
「非急減圧」説側からみて、客室圧力が実際は警報圧まで低下していなかったのに1秒間だけ鳴動した原因として、従来言われている説の他に、「圧力センサー出力が、入力(客室気圧)の急変でオーバーシュートして一時的に警報値を超えた」という可能性がある。これはセンサーの特性を調べればあり得るかあり得ないかわかることだが。

3.自衛隊の不可解な言動

当時の自衛隊の「不可解な」言動をまとめると、

  ○ 事故機の捜索に百里基地でスクランブル待機していた戦闘機を使うという「異例」な行動。
  ○ 「派遣要請」を待たずに見切り発車で百里基地からV107 ヘリコプターを現場に向かわ
   せた。それほど急いだにもかかわらず、夜間山間地での救助をする装備がないとして
   救助活動は行わなかった。
  ○ 佐藤守氏の説明によれば、自衛隊は正確な場所を特定できる地図を持っていなかった。
   にもかかわらず、せっせと(TACANで)位置を測った。
  ○ 正確ではないと知っていながら、そうは伝えずに位置情報を提供した。
  ○ 翌13日午前2時20分頃、これも「異例」にも、在京の報道各社に新たな位置情報、
   長野県御座山南斜面頂上から1キロ、を電話で知らせた。
   (『御巣鷹の謎を追う』文庫版 p.139)

自衛隊はこのような事故の救助活動の「本来の責任部門」ではなく、派遣要請を受けて手伝いをする立場にあるのだから、もしこの事故の発生に自衛隊が何の関係もないのであれば、自衛隊が「大慌て」(本書 p.289)になる必要性などないはずだ。



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福田慎一著 「21世紀の長期停滞論」 [読書感想]

21世紀の長期停滞論 -日本の「実感なき景気回復」を探る
福田慎一 著 平凡社新書(Kindle版) 2018.01.15 初版発行

【構成】
はじめに

第1章 「長期停滞」という新たな時代へ
第2章 なぜ、長期停滞は起こったのか
第3章 日本の「実感なき景気回復」
第4章 長期停滞論からみた日本の景気
第5章 長期停滞下での経済政策
第6章 なぜ、構造改革は必要なのか
第7章 少子高齢化が進む日本の現状
第8章 イノベーションは日本を救うか
第9章 財政の持続可能性を問う
終 章「豊かな社会」を実現するために

あとがき

****

 この著書は、
   ・「サマーズの長期停滞論」の視点から、世界経済の低成長の説明(第1章、第2章)
   ・経済の長期停滞論から見た日本経済の状況(第3章~第5章)
   ・日本経済が長期停滞脱却するための構造改革の必要性(第6章~第9章)
そして、終章で「GDP成長を目標」とする経済の見方に対する疑問を呈している。

 終章で提示されるように、「GDPの成長」が究極の目標ではなく、「豊かさ」が目標であるとすれば、長期停滞といわれる現状への対処も変わる。つまり、「なぜGDPは成長しないのか、どうすれば成長するのか」を問うよりも、「「豊かさ」という目標に対してどんな問題があるのか、その解決策は何か」、あるいは「パイ(GDP)が不足しているのか」それとも「パイの分配に問題があるのか」を問うべきなのだが・・・。
 「最も望ましくない政策」は、財政赤字を拡大させて公共事業を拡大したり、需要の先取りをしたりて、現在のGDPの数字を無理やり引き上げていかにも政策が成功しているように見せ、課題や弊害を後の世代に押し付けるような政策である。

 本書では、「長期停滞」下の日本経済の課題として、急速に進行する「少子高齢化」と巨額に累積した「財政赤字」を挙げている。これを解決するために「構造改革」が必要としているが、何をどのように改革すればどのように解決できるのか、明確には示されていない。

 少子高齢化の問題は、一方で労働人口が減少し、他方で高齢人口の増加による社会保障費の増加である。これに対処するには、イノベーションにより生産性を高めることが必要であることは確かだ。
企業側から見ると、少子化による労働人口の減少を生産性の向上で補って生産力を維持することが目的となる。

 しかし、高齢人口増加による社会保障費の増加問題を解決するという観点からは、これだけでは不足である。生産性向上で企業が生み出す産出の増加分から、(企業に直接課税するかあるいは賃金の増加分に課税するかして)増える社会保障費にまわさなければならない。そうすると、日本の企業には減少する労働人口と増加する社会保障費の両方を負担しながら、国際競争力を維持するだけのイノベーションが求められる。

 現状では、このような企業への負担増加は「企業の海外逃避」の恐れを生じる。政治は国別、経済はグローバル化という現状の問題点は、政治が国際化した企業を統制できず、どの国でも企業に必要な課税ができないことにある。これは一国で解決できる問題ではなく、国際的な協調が必要であり、協力しない国は排除するような国際的な仕組みが必要となる。

 政府の累積債務については、「プライマリーバランス」をとるのが先決で、財政赤字で債務を累積させながら累積債務をどうしようかと論じても意味がない。
 債務をどこまで累積可能かについては、「状況次第」。日本が経常黒字を出し続け、(日銀ではなく)民間が国債を消化できる限り、どこまでも累積可能かもしれない。

 しかし、これと返済可能性とは別で、既に「まともな方法で」返済可能な範囲を超えている。
 民間が消化した国債を半永久的に償還しないで済めば、それは事実上徴税したのと同じで、しかも「税は負担できる者が負担する」という好ましい徴税の仕方になる・・・。




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川端祐人著 「我々はなぜ我々だけなのか」 [読書感想]

我々はなぜ我々だけなのか -アジアから消えた多様な「人類」たち
川端裕人 著 海部陽介 監修 講談社ブルーバックス 2012.12.20 初版発行

【構成】
はじめに
プロローグ 「アジアの原人」を発掘する
第1章 人類進化を俯瞰する
第2章 ジャワ原人をめぐる冒険
第3章 ジャワ原人を科学する現場
第4章 フローレス原人の衝撃
第5章 ソア盆地での大発見
第6章 台湾の海底から
終 章 我々はなぜ我々だけなのか
監修者あとがき

****

以前は、アジアの化石人類と言えば、ジャワ原人 Homo erectus erectus(以前は「直立猿人 Pithecanthropus erectus」と呼ばれた)、北京原人 Homo erectus pekinensis がすべてで、彼らがその後どうなったのか、恐らく新人が出現する前に絶滅していたと何となく考えていた。2003年にインドネシアのフローレス島で体長1m程度、脳容量も小さい小型の人類化石が発見され注目された。


本書は、主として本書の監修者海部陽介氏の調査研究に基づく、アジアの化石人類研究についてのルポルタージュ風解説書。
化石人類史といえば、アフリカ大陸におけるホモサピエンス登場までの進化史、ホモサピエンス「出アフリカ」後の拡散の歴史がほとんどの中で、本書は、アジアにおける化石人類研究の現状を俯瞰する貴重な本である。

本書によれば、ジャワ原人は、当初発見された120万年前~80万年前の化石から、断続的に5万年前までの化石が発見されている。アフリカの化石人類と異なり、この間原人→旧人→新人といった方向への進化はしていない。
    前期のジャワ原人(サンギラン、トリニール)  120~80万年前
    中期のジャワ原人(サンブンマチャン)         30万年前
    後期のジャワ原人(ガンドン)            10~5万年前

フローレス島で発見された小型の人類、フローレス原人(Homo floresiensis)は、当初12,000年前頃まで生存していたとされたが、最近の研究により5万年前に訂正された。また、同島の他の場所ソア盆地から発見された化石により、70万年前にはすでに小型化されていたことがわかった。
彼らがジャワ原人から進化したのか、あるいはより小型の現生人類から進化したのか、論争があるが、100万年前頃までにフローレス島にやってきたとされる。
フローレス島はオーストラリア区に属し、彼らがアジア区側からどうやって海を越えてオーストラリア区側に渡ることができたのかも謎とされている。

一方、北京原人は40万年前までに消滅したとされるが、台湾海峡の澎湖島の海底から、人類の下顎の化石が発見された。地引網に引っかかって引き上げられたとされるが、それが何年のことかは書かれていないので分らない。2008年頃から研究が始まり、2015年に「アジア第4の原人」とされた。19万年~13万年前程度とされる。

この他、中国の和県から出土した原人と考えられる化石が出土している。
「中国の旧人」については、名前だけで内容は具体的に示されていない。
これらは、未だ正式な分類がなされていない。

つまり、ホモ・サピエンス拡散以前のアジアの化石人類の研究については発展途上というより発展が開始されたところであり、今後が期待される。


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鯨岡 仁 著 「日銀と政治 暗闘の20年史 [読書感想]

日銀と政治 暗闘の20年史
鯨岡 仁 著 朝日新聞出版 刊 2017.10.30 初版発行


【構成】
まえがき
序章 「独立」した日本銀行
第1章 ゼロ金利解除の失敗
第2章 量的緩和の実験
第3章 リーマン・ショックと白川日銀
第4章 日銀批判のマグマ
第5章 レジーム・チェンジ
第6章 異次元緩和の衝撃
第7章 金融と財政、「合体へ」
あとがき


「金融政策は紐のようなものであり、引くことはできるが押すことはできない」-。金融政策について語るとき、こんな比喩を良く使う。
「インフレのときには金利を上げて引き締めればよい(紐を引く)が、デフレのときに物価を金融政策で押し上げる(紐を押す)のは難しい」(第1章 p.49-50)

この本は、「紐を押せ!」と要求するリフレ派・マネタリストの政治家・エコノミストと、「紐を押しても効果はない」と否定する速水優・白川方明などプロパー日銀総裁の「論争史」を時系列に解説したものである。
「あとがき」で著者が書いているように、評価や批判を避けて、「政策が誰の手により提唱され、どのような力学で決められ、実行されていったのかを克明に記録する」ことを目的としている。

※ 19世紀資本主義の登場から現在までを通して見れば、戦後先進国復興期の、需要が供給を上回ることから生じた「高度成長」、それに伴う「継続的な物価上昇」は「例外的な状況」であった。しかし、最近までの主流派の経済学は、この「例外的な状況」に基づいており、多くの人々の経済観もそうであった。今でも「成長し続けるのが経済の正常な状態」とされている。
中央銀行と金融についていえば、
    ・資金は常に不足し、投資資金需要は常にある。     ・中央銀行は、金利操作により市場に供給されるマネーの量を調整することで、経済(の過熱と冷却)をコントロールできる。
とされていた。
しかし、経済のグローバリゼーションが進んだ現在、一方では市場に(あるところには)マネーがあり余り、投資先を求めている。他方では、需要の伸びは鈍く、その結果(実体経済の)投資資金需要は減り続け、マネーに対する「需要と供給の関係」で市場金利は下がり続けた。中央銀行は金利を下げれば経済を活性化できると信じて、実体経済の金利低下の後追いで政策金利を下げ続け、ついには「ゼロ金利」に達した。


日本が戦後、苦しんできたのはインフレであった。・・・物価の上昇に目を光らせるのが、これまでの政府・日銀の役割であった。・・・(デフレーションは)少女アリスが迷いこんだ「不思議の国」のようなものであった。(第1章、p.48)

東大経済学部小山ゼミの小宮隆太郎教授は、1973年~74年の狂乱物価論争で、金利操作だけに執着していた日銀に対して、「マネーサプライを適正な伸びに抑えるべきだ」と主張した。
小宮ゼミに学んだ山本幸三と岩田規久男は、小宮理論を延長していけば、「マネーサプライを増やすことができれば、物価を引き上げることができ、デフレから脱却できる」という結論に行き着くと考えた。
小宮本人は、山本や岩田の議論を否定した。小宮は、マネーサプライの抑制がインフレ退治に効果を発揮するが、逆に無理に増やしても、ゼロ以下となった物価指数を押し上げる効果はないと考えた。小宮の側についたのは、白川方明であった。

「マネーサプライ論争」(1992、第1章、p.81)
    岩田規久男:『日銀理論』(金利操作だけに着目した金融政策)を放棄せよ。
    翁邦雄:『日銀理論』は間違っていない。(第1章、p.75~76)

1997年6月11日、改正日銀法成立。これは中央銀行の政府からの独立性を高めたものである。(序章、p.39)

2001年3月16日、麻生財務相による「デフレ宣言」

日銀総裁の速水優は、量的緩和を導入した(2001年)3月19日の記者会見でこう(「長期国債の引き受けなど絶対にするつもりはない。これは法律でも認められていない・・・」)力を込めた。
このとき速水が量的緩和と同時に導入したのが「銀行券ルール」、すなわち、日銀が保有する長期国債の残高を、日本銀行券の流通残高以内に収めるという運用ルールである。(2001.03、第2章、p.95)

2001年、山本幸三、渡辺喜美、舛添要一らが「日銀法改正研究会」の初会合を開いた。・・・
研究会は、物価上昇率の目標を定めて金融政策を運営する「インフレ目標政策」の導入や、日銀総裁の解任権を首相に持たせるなどを盛り込んだ法改正に向けて、検討していくことで一致した。(第2章、p.104-105)

2001年11月20日の経済財政諮問会議「デフレ対策と不良債権処理」
    ・吉川洋、平沼赳夫は、デフレ対策を求める
    ・速水日銀総裁は、不良債権処理の優先を求める

2002年、速水日銀総裁:「(インフレ目標は)インフレを抑えるために使っているので、デフレを抑えるために使っているという例はあまり聞いたことはない」(第2章 p.119)

2008年「リーマンショック」
2008年12月01日、米バーナンキFRB議長は、「バランスシートを活用」するという言葉を使うことで、「量的緩和」や「信用緩和」などあらゆる措置を講ずる意思を示した。(第3章、p.182)

2009年11月20日、菅直人副総理による(二回目の)「デフレ宣言」

2009年、白川日銀総裁、「日本の(2001~2006年の)量的緩和のときも、FRBも、超過準備も流動性もたくさん供給しているが、そのこと自体によって物価を押し上げていくという効果は乏しい」(第3章 p.193)

2012年11月15日、自民党安倍晋三総裁は読売国際経済懇談会で、「2~3%のインフレ目標を設定し、それに向かって無制限緩和していく」(第4章 p.259)

2012年12月26日、第二次安倍内閣発足

2013年1月、政府が目指すべき「物価目標」を数値で設定して日銀と共有する。日銀が様々な金融政策の手段を用いてその目標達成をめざし、責任を負う。
この政策の背景には、経済学の「貨幣数量説」という考えがある。世の中に出回っているお金の総量とその流通速度が、物価の水準を決めるというものだ。安倍(首相)のブレーン(浜田宏一、岩田規久男、本田悦郎、中原憲久など)は、金融政策が中長期的には物価水準を決めることができる、という考え方を固く信じていた。
一方白川はこれとは対極にいた。白川は、物価は世に出回るお金の量で決まるというよりは、むしろ経済の供給力と実需の差「需給ギャップ」などを反映した結果だと考えていた。(第5章、p.282)

2013年3月4日、衆議院運営委員会での日銀総裁候補黒田東彦の発言:
日銀が2000年にゼロ金利政策を、2006年に量的緩和政策を、それぞれ政府の反対を押し切って止めた。黒田はこうした政策判断を「いまから見ると明らかに間違っていた」と指摘。日銀が長期国債を買う量を制限している「銀行券ルール」についても、「私が知る限り、日銀だけにしかないルールだ」として見直しを示唆した。・・・
「(目標)をいつ達成できるのか分らないのでは物価安定目標にならない。グローバルスタンダードでは2年程度であり、2年は1つの適切な目途だ」
「2年で2%」を公約にした。・・・
(副総裁候補)岩田紀久男の発言は過激だった。・・・「就任して最初からの2年で達成できなければ、責任は自分たちにある。責任の最高の取り方は辞職することだ」。(第5章 p.315)


論争の結果は第二次安倍政権の出現で「紐を押せ!」派の勝利に終わった。黒田東彦総裁・岩田規久男副総裁の日銀は、異次元緩和と称して「紐を押しまくった」。その効果の程は、物価の現状が示している。

2016年9月5日、黒田は共同通信社主催のきさらぎ会の講演で、金融政策決定会合でおこなう「総括的な検証」について「予告」的な説明をおこなった。
黒田が「検証のポイント」としたのは「2%の物価上昇率目標が達成できていない理由」と「マイナス金利の効果と影響」の二つであった。
異次元緩和の開始から3年半たったが、足元の物価上昇率(生鮮品を除く)は前年比マイナス0.5%に留まっている。黒田は、こうした物価低迷の理由として「原油価格の下落」「消費増税後の消費など需要の弱さ(本書によれば黒田は日銀の政策が財政ファイナンスではないことを示すために増税を主張した)」「新興国経済の減速」の3点を挙げた。
3つとも、日銀がコントロールできない「外的要因」である。裏を返して言えば、これらの外的要因がなければ、目標を達成していた、という意味でもあった。(第7章、p.395-396)

更に裏を返せば、物価が上昇しても、それは日銀の政策結果ではなく、「外的要因」のためかもしれない。
もし、黒田総裁の検証が正しいならば、「(日銀政策で)購買量は増加したが、(外的要因のために)物価は上がらなかった」となるはずである。
現在、安倍首相が必死に財界を説得して賃金を上げようとしているのを見れば、どちらであるかわかる。



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マクラウド流の経済学派の分類 [マクラウドの経済学]

マクラウドの経済学 -マクラウド流の経済学派の分類

H.D. Macleod "Economics for Biginners" より


 マクラウドによれば、古代ギリシャ・ローマの著者は一致して、交換可能性、あるいは売買可能性が富の唯一の本質であるとした。古代ローマでは、この売買可能なもの即ち富を3種類に分類した。それは、物質的なもの、労働、そして多種多様な抽象的権利(abstract right)であった。

 中世ヨーロッパでは、金銀だけが富であるとされていた。これが近世になると、「重商主義」に発展し、戦争と一般国民の窮乏化を招いた。

 その中から近代経済思想が生まれるが、(マクラウドによれば)試行錯誤の末に、再び古代の考えに戻るのである。

 H.D. マクラウドは、この近代以降から彼の時代(大体19世紀終わりまで)の経済学を、「富の定義」に従って三つの学派に分類した。


1.第一学派

 一般には「フィジオクラット」(日本では「重農主義」とも訳される)と呼ばれる学派で、近代経済学は彼らに始まる。

 マクラウドによれば、

 『最初の経済学者の第一学派は1750年頃フランスで生じた。当時この国は、ルイ14世の戦争、ロー(John Law)の紙幣計画の誤り、商業あるいは諸国間の生産物の自由貿易に対する禁制と妨害、そして法外に高い徴税システムの結果から、甚だしい悲惨さを蒙っていた。

 少数の高潔な哲学者たちは、彼らを取り巻く耐え難い悲惨さについて熟考し、人間の社会的関係について自然自体に基づく偉大な自然の科学、永遠の真実の幾つかの原理があるに違いなく、それに違反したことが、彼等の周囲に見る恐ろしい悲惨さの原因である、という思想を生み出した。彼らはこれを自然権(Natural Right)の科学と名付け、彼らの目的は、社会的関係におけるすべての人々の自然権についての理論的科学(abstract science)を発見し制定することであった。

 この科学は、人々と政府の関係、人々相互の関係、そして資産(property)との関係を包含した。彼らはこの偉大な科学を政治経済学(Political Economy)、あるいは国の調整の科学とも呼んだ。それゆえ彼らはエコノミスト、あるいは彼らの構成員の一人がその科学を "Physiocratie"という術語で呼んだことから、フィジオクラット(Physiocrates)と呼ばれた。』

 『フィジオクラットは、経済のシステムを「富の生産、分配、そして消費」と呼んだ。この語句は一体不可分のものであり、大地の産物の通商と交換を意味した。

 生産とは、大地からの原料生産物を入手して商業にもたらす。原料生産物は最終的に使用されるまでに加工され、別の場所に輸送され、一回以上転売されて、最終的な買手すなわち消費者の手に渡ることで完了する。これらすべての中間過程は取引あるいは分配と呼ばれた。最終的な買手である消費者は、彼自身の生産物を売ることでそれを手に入れる。すなわちこのシステムは、生産物と生産物の通商あるいは交換である。

 フィジオクラットは、富を大地の産物で通商にもたらされ交換されるものだけに限定し、生産者自身が消費する生産物を除外した。彼らは、労働と権利を富という術語から明確に除外した。なぜなら、労働と権利を富と認めることは、富が無から創造できることを認めることになると彼らは主張した。人間は何も創造できない、そして無からは何も現れないからである。

 彼らは、商業は国を富ますことだできないと主張した。なぜなら、それは等価なものと等価なものを交換するだけであり、その結果、販売による売り手の利得は国の富の増加ではないからである。

 彼らは、加工における職工の労働は不毛あるいは非生産的であると主張した。なぜなら、彼らの労働は生産物に価値を加えるが、それでも加工の過程の間に労働者は彼の生計を消費する。そして生産物の価値の上昇は、労働の間に消滅した生計の価値を表しているに過ぎない。それゆえ、価値の増加はあるが、富の増加物はない、と彼らは主張した。』


2.第二学派

 アダム・スミスに代表される、古典派経済学である。

 マクラウドによれば、

 『商業も加工業も国を富まさないというフィジオクラットの異常な学説は、(繁栄している国・地方は商工業の盛んな国・地方であるという)歴史の最も明白な事実と矛盾するので、ヨーロッパ中で彼らに対する反動が自然に生じた。』

 『スミスの著作は「生産と分配」から始まるが、彼はこの術語の創始者であるフィジオクラットにより使われた意味をよく知っていた。そして彼は、その目的は「交換可能な商品の価値を調整する原理を考察する」ことであると言った。かくして彼は「生産と分配」という術語の真の意味は価値の理論であると知る。』

 『フィジオクラットの学説を知ることなしに、スミスの著作の領域あるいは目的を理解することは不可能である。・・・スミスの著作の明白な目的と領域は、加工業と商業が不毛であり非生産的であるというフィジオクラットの学説への論駁、および、全ての労働は生産的であり国を豊かにすることの証明である。・・・そして、労働は全ての価値とすべての富の唯一の源泉であると考えられるようになった。・・・』

 『ここでは、スミスの一貫性のなさを示すことで十分であろう。富は「土地と労働の年々の産物」という考えから始めた後、人間の能力を、固定資本そして国の富の一部に含めた。かくして労働は富であると認め、経済学者の第二学派の全体は、労働を交換可能な商品と認めた。そして、労働の価値を物的商品の価値と同じように論じた。

 さて、人間の能力は確かに、「土地と労働の年々の産物」ではない。かくして、スミスはすでにフィジオクラットの学術用語から外れた。なぜなら、フィジオクラットは労働を富という術語から明白に除外したからである。科学の観点からは、経済学者の第二学派は正しい。・・・しかしそれは、科学の基本的な概念にとって非常に都合の悪い事柄である。というのは、我々は労働の「生産、分配、そして消費」をどのように語るのであろうか?』

 『それゆえ労働を富に生産、分配そして消費の科学に導入することは、非常に不都合なねじれをもたらした。しかし、それ以上に拙いことが残っている。というのは、スミスは流動資本という術語の下に、銀行券、為替手形その他の有価証券を明確に含めた。しかし、これらは単なる権利あるいは信用である。(※つまり、「土地と労働の年々の産物ではない。)・・・

 経済学の第二学派は、権利を富の種類の一つと認めたが、彼らはこれらの権利について、商業のメカニズムを少しも説明しようとしてこなかった。彼らは、信用と銀行の問題を科学の一般体系の中に導入することを全く試みなかった。

 このように、「富の生産、分配そして消費」という術語は、それが意味したように、交換可能な量がただ一種類であり、交換の種類が唯一の場合に適用されたときのみ理解できることがわかる。一方、第二学派は一致して、労働と権利を富と認めた。そして、それがどんなに真実を含んでいようと、それは第二学派のシステム全体にとって致命的であった。』


3.第三学派

 新古典派に至る学派である。

 マクラウドによれば、

 『1776年--スミスが彼の著作を出版したのと同じ年--に、フランスの哲学者コンディヤック(Étienne Bonnot de Condillac、1714.09.30-1780.08.03) は、彼の『商業と政府』("Le commerce et le gouvernement" )を出版した。これは全く同じ目的--即ち産業における商業と加工業がともに国を豊かにすることを示すことであった。彼は直ちに、経済の科学は商業の科学であるということから始めた。その結果として、フィジオクラットの富の生産、分配と消費としての考えを、一つには、ずっと単純でわかり易い形で、もう一つには、遥かに優れた一般的な形で表現した。・・・』

 『この科学において、富という術語は交換可能な商品に限定された。それが交換の対象である限り、あるいは交換の対象であるように目論まれている限り、そうである。この理由から、恐らく政治経済学は交換の科学と表現するほうが、国富の科学よりも便利である。・・・

 「富の生産、分配そして消費」という表現は、一種類の商品に適用されたときのみ理解可能であるが、他方、交換の科学という表現は全ての種類の交換に適用できることを示している。

 その上、この定義を適用することで、政治経済学あるいはエコノミクスがどのように自然科学であるのかが直ちにわかる。富の生産、分配そして消費という名前に、自然科学との類似を示唆するものがあるであろうか?しかし、交換の科学というもう一つの等価な定義を適用したとき、それが自然科学であると直ちにわかる。なぜなら、3の種類の交換可能な量があり、それゆえ6種類の交換が存在する。科学の目的は、これら交換についての現象の法則、すなわち、これら幾つかの量が交換する数的関係を定めることにある。天球の動作を支配する単一の一般法則があり、それが天体現象を全てを説明するように、交換可能な量の数的関係における全ての変化を支配する単一の一般法則があることを示すのは極めて容易である。かくして、我々は新たな自然科学を創造し、全て単一の一般概念に基づく現象の新たな体系を、一般法則の支配下にもたらした。』


〇マクラウドによる富の分類

マクラウドは、この「交換可能なもの」を次の3種類分類した。

1.Corporeal or Material Property (有形あるいは物的資産)

2.Immaterial Property (非物的資産) :労働あるいは人間の能力

3.Incorporeal Property (無形資産) : 通貨を含む権利(債権)

マクラウドは、この3種類の富の間で6種類の交換(1と1、1と2、1と3、2と2、2と3、3と3)があるとする。


【考察】

 現代の用語でいえば、マクラウドの富の分類のうち、1と2は実体経済に相当する「財・サービス」とまとめられ、3は金融資産に相当する。

 フィジオクラットが、富を「大地の生産物」に限定したこと、加工業(製造業)や商業が富を増さないとしたこと、自家生産自家消費を除外したことは、明らかに誤っている。しかし、彼らが(社会)経済システムを「富の生産、分配、消費」のシステムと定義したことは、(マクラウドの批判に反して)正しい。

 マクラウドの否定に反して、「労働」はサービスとして「生産、分配(取引)、そして消費」される。一方、第二学派(の一部)--それはマルクス主義に至るが--の主張である「労働が全ての価値の唯一の源泉である」という「労働価値説」をマクラウドは強く否定しているが、これはマクラウドが正しい。

 マクラウドの富の分類の3番目の「権利」は、「交換」あるいは「市場取引」(それも「二期間取引」とされるもの)のための手段あるいは媒体であって、生産・消費の対象ではない。確かに、スミスの『諸国民の富』は、体系立った内容ではないから、一貫性のなさもあるだろうが、「「富の生産、分配そして消費」という術語は、それが意味したように、交換可能な量がただ一種類であり、交換の種類が唯一の場合に適用されたときのみ理解できる」という批判は強引すぎる。生産・消費の対象である物的資産・労働と、流通媒体であり交換の場だけで使われるる金融資産(債権)は、同じように富として扱われるとしても、異なる性質を持っている。

 マクラウドや彼の言う第三学派--それは「新古典派」に至るのだが--経済学の対象を「交換」あるいは「市場取引」に限定し、生産と消費を対象から外したことには、19世紀当時の社会科学の状況がある。

 すなわち、前世紀における「ニュートン力学」の成功の余波である。僅かな定義と方程式で、天体の運行を説明し、予測できたことは、社会科学者にも「科学とはかくあるべし」という信念を抱かせた。マクラウドが経済を考察するとき、常に念頭に置いていたのは、ニュートン力学に倣い、経済を数学的に記述し、説明することであった。

 しかし、生産と消費を数学的に記述することは困難であり、最も容易なのが「市場取引」の場面であったのだ。ここでは取引対象のすべてが単一の指標である価値あるいは価格として表わされる。

 新古典派経済学は、難しい数学を駆使して「均衡理論」を完成させた。新古典派の均衡理論は、発展も衰退もなく、好況も不況もなく、100%の信用があるからマネーも金融も存在せず、時間の次元も存在しない。そして、それはほとんど役立たない。なぜなら、産業革命と資本主義以降の発展し変化する市場は均衡していないからである。

 にもかかわらず、市場の「均衡仮説」は信じられ、あるいは(誤って)市場経済検討の前提とされ続けている。

 新古典派以降の経済学では、生産は「供給」、消費は「需要」として、市場システムの外部から与えられる「与件」、その変動は「(外部)ショック」として扱われる。

 しかし、経済システムはフィジオクラットが説いたように「(富の)生産、分配、そして消費」のシステムであり、この「生産、分配、消費」は一体不可分である。分配(市場取引)の結果は、それが不均衡な場合、消費を変動させ、それは次の生産と分配に影響する。つまり、分配の結果は、市場変動の「内因」となる。

 さらに、社会全体でみれば、総産出を再投資と消費にどう分配するかが、社会的な利益率となる。消費の割合が大きいほど、つまり、生産性が高いほど利益率は大きくなる。その生産性の向上、イノベーションが生じるのは生産の場である。しかるに、市場取引だけを経済学の対象とすると、この利益率は根拠のない「与件」として与えられ、経済学の対象から除外されている。




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日航123便事故 DFDR解析 [日航123便事故]

§ 日航123便事故DFDRの解析

 事故調の「急減圧」説に対する批判は多いが、事故調が「急減圧」の根拠とする、DFDRの記録に残された「証拠」に対する批判はあまり見たことがない。
 では、事故調のDFDR解読に反論の余地がないのかというと、(素人目で見てだが)疑問の余地はある。


1.事故調の「急減圧」説の要旨(『事故調査報告書』 付録4、p.56)
 
 (1) 事故発生+0秒、圧力隔壁の1列リベット部が破断して、圧力隔壁に1.8㎡の穴が開く。
 (2) 予圧された客室内から圧力隔壁の穴を通して、予圧されていない機体後部に空気が吹きだす。
 (3) 0.051秒後、APU防火壁が耐圧限界に達し、脱落する
 (4) 0.326秒後、垂直尾翼が耐圧限界に達し、破壊が始まる
 (5) 1.29秒後、客室内相対湿度が100%に達する
 (6) 1.656秒後、客室高度10,000ftに相当する圧力に到達する
 (7) 2.538秒後、客室高度14,000ftに相当する圧力に到達する
 (8) 6.8秒後、客室高度が外気圧力(24,000ft)に到達する、機内気圧は0.4気圧まで低下し
    気温は-40℃まで低下し、その間機内ではほぼ10m/sの風が吹いた。


2.事故調によるDFDR解析 
 事故調は、DFDRの記録から、上記の急減圧の証拠を読み取ることができたとする。
 事故報告書 3.1.7には、次のような説明がある。

 (1) 前後方向加速度(LNGG)
 18時24分35.70秒の前後方向加速度は、異常事態発生の前後に比べて約0.047G突出している。当時の重量を考慮すると、約11トンの前向き外力が作用したものと推定され、胴体後端部の破損がこの時刻付近で生じたものと推定される。なお、36.20秒以後の数秒間にわたって前後方向加速度は大きな変化を示すが、これは機体運動によるものと考えられる。

 (2) 垂直加速度(VRTG)
 18時24分35.66秒までは、ほぼ正常飛行状態を表す垂直加速度が記録されている。以後垂直加速度が36.16秒までわずかに増加し、36.28秒には約-0.24Gだけ跳躍し、その結果擾乱が始まっている。
垂直尾翼の破壊がこの時刻付近で生じたものと推定される。

 (3) 横方向加速度(LATG)
 24分35.73秒から35.98秒の間に、横方向加速度に最初の有意な変化が見られる。
 前後方向加速度突出直後の横方向加速度のこの変動は、尾部の破壊が35.73秒の以前で生じたことを裏付けるものと推定される。
 24分35.98秒以後、数秒にわたって横方向加速度に最大全幅0.08Gを超す振動が見られる。数秒後には完全に減衰していることから考えて、異常外力によって励振された自由振動と考えられる。

これら説明の基となる詳細な分析は付録6に記されている。


3.事故調による解析の疑問

【機体運動について】
 機体の垂直平面、すなわち前後方向と垂直方向の動きで最も重要なものは、ピッチ角、すなわち機首の上げ下げである。
 外力が働かない機体運動で、エンジン推力に変化がない場合、
 • 垂直方向については、ピッチ角(あるいは迎え角)が増えれば揚力(垂直加速度)が増加し、減れば揚力は減少する。
 • 一方、前後方向については、ピッチ角の増加は抵抗が増して、その分加速度は低下する。ピッチ角の変化で前後方向加速度が増加するのは、ピッチ角がマイナス(機首下げ)となって重力の加速度が進行方向に加わったときだけである。

【DFDR記録について】

 (1) 前後方向加速度
 事故調の説明では、35.70秒の前方向加速度の突出が、APU部の脱落で生じる前方への加速度の増加によるとしている。
 しかし、この加速度の増加は当然、客室内の予圧された空気が破損した圧力隔壁の穴から外気へ噴出したことによるもので、それがわずか0.1秒単位ほどしか続かなかったというのは考えられない。圧力隔壁に事故調がいう1.8㎡の穴が開いても、それは秒単位で続くはずである。
 一方、事故調が「36.20秒以後の数秒間にわたって前後方向加速度は大きな変化を示すが、これは機体運動によるものと考えられる。」としているが、36.6~36.7秒以後の時間帯にピッチ角が増加しているにもかかわらず、前方加速度が増加していることから、これが機体運動の結果とは考えられない。
 この36.6~36.7秒以後続く前方加速度の増加こそ、APU部が脱落して、圧力隔壁に開いた穴から予圧された客室内空気が後方に噴出していたことを示しているのではないか?
 つまり、APU部の脱落は、36.6~36.7秒近辺で生じたのではないか?
 (41秒以後の前方向加速度の増加は、エンジン推力の増加による)

 (2) 垂直加速度
 事故調は、「垂直加速度が-0.24G突出する36.28秒付近で、垂直尾翼の破壊が生じたものと推定される」としているが、もし垂直尾翼の破壊で与圧空気が上方に抜けて機体尾部に下方向の力が加わったとしたら、それは尾部下げ、機首上げのモーメントを生じるはずである。しかし、このとき機首は下がっている。
 そして、機首が下がれば、迎え角が減り、その結果揚力が減り、負の加速度が生じたのと同じ結果になる。つまり、これは予圧が尾部から上方に噴出したのではなく、「機体運動」によるものと考えられる。
 その後の垂直加速度の変化も、ピッチ角(迎え角)の変化と概ね一致ししている。

DFDR解析.jpg


 (3) 横方向加速度
 「35.98秒以後、数秒にわたって横方向加速度に最大全幅0.08Gを超す振動」が「異常外力によって励振された自由振動」というが、この(36秒~405秒)横方向の振動は、左右対称ではなく、右方向とやや左のほぼ中央との間で振動している。
 36.5秒~38.5秒の間、方向舵のペダル操作(PED)は、右に切られ続けている。機首方位はこの間僅かに右に変位している。38.5秒から40.5秒までペダルは左に切られ、変位も左に変化する。その後ペダルは40.5秒付近で僅かに右に切られているが、機首方位は左に変位したままである。
 横方向加速度の振動は、破壊されつつある尾翼がフラッターを起こしていて、40.5秒頃に方向舵の機能が完全に失われたことを示しているように見える。
 このように見ると、尾翼は一瞬にして破壊されたのではなく、一部が壊れ、フラッターを起こしながら破壊が広がっていったように見える。

DFDR解析 2.jpg


 総じて言えば、事故調による異常発生時のDFDR解析は、「急減圧説」を支持するために、35.70秒の前方加速度の突出と、36.28秒の下方への加速度の突出を、それぞれAPU部破壊と垂直尾翼破壊に無理やりあてはめたもので、その結果、その後のより大きな変動を「機体運動」で片づけようとしているが、これは理に合わない。

 事故調の説明を正しいと信じてしまえばそれまでだが、上記のような疑問を持つと、「では35.70秒の最初の瞬間的な前方加速度の増加は、それはCVR記録の「最初のドーン」の中の初期のピーク(CVRでは約35.6秒)に符合すると思われるが、何によって生じたのか」という疑問が残る。



日航123便事故 [日航123便事故]

§ 日航123便事故

 今年は日航123便の墜落事故から30年ということで、テレビでこれに関する番組が幾つか放送された。それに刺激されて、何冊か本を(おもに事故原因についての部分を)読んだ。また、YouTubeにボイスレコーダーの記録をアップロードしたものがあり、聞いてみた。

 資料から総じて得られたことは、この事故およびそれに関連した出来事には、未解決の問題・疑問が残っているということであった。それは、

1.「事故調査報告書」に記された事故原因は正しいか、特に「急減圧」はあったか?
2.墜落場所の特定・救出はなぜ遅れたか?特に、なぜ自衛隊は墜落場所の誤った情報を出し続けたのか?
3.事故調査のあり方、事故調査と犯罪捜査の関係の問題
である。


【参考資料】

1) 「事故調査報告書」 1987.06.19

2) 「墜落の夏」 吉岡 忍 新潮社 [コピーライト]1986
 1985年12月に、リハビリ中の落合由美さんにインタビューした内容が記載されている。それは、事故直後に発表されたものとは少し異なっている。

3) 「壊れた尾翼」 加藤寛一郎 技報堂出版 [コピーライト]1987.08
 著者は航空宇宙工学の工学博士。事故調査報告書の圧力隔壁破壊と急減圧を支持している。

4) 「隠された証言」 藤田日出男 新潮社 [コピーライト]2003
 著者は、事故調のいう「急減圧」はなかったとして、方向舵のフラッターにより垂直尾翼が最初に破壊したという仮説を提唱している。

5) 「機長の「失敗学」」 杉江弘 講談社 [コピーライト]2003
 著者は、「急減圧」も「方向舵フラッター説」も否定し、事故調の結論通り圧力隔壁破壊により垂直尾翼と機体尾部が破壊されたとするが、事故調のいう「急減圧」ではなく「相当な減圧」があったとという仮説を提唱している。

6) 「御巣鷹の謎を追う」 米田憲司 宝島社 [コピーライト]2005
 事故の原因としては、杉江氏と同様「相当の減圧」説。

7) 「日航機事故の謎は解けたか」 北村行孝・鶴岡健一 花伝社 2015.08.12
 事故原因については、大方事故調の結論を認めているが、疑問が残っていることも認めている。 
 事故調査関係者へのインタビューが記載されている。

【WebSite】

8) 日航ジャンボ機墜落事故 JAL123便 JA8119号機 昭和60年8月12日
  航空事故調査報告書に基づく 操縦室用音声記録装置(ボイスレコーダー:CVR)の記録


§ ボイスレコーダーの解読

 通常、事故機のボイスレコーダー音声が公表されることはないが、この事故では「諸々の事情」によって、これが外部に流出した。その結果、ボイスレコーダーの解読について、事故調査委員会による解読が批判されることになった。

 「事故調査報告書」中のボイスレコーダーの解読については、特に事故発生直後の運航乗務員(機長(CAP)、副操縦士(COP)、航空機関士(F/E))の間の会話、その中でも「オールエンジン・・・」について、議論が多い。

 YouTubeには、テレビの特集他、この関係の動画がたくさんアップロードされているが、下記の動画で聞いてみた。雑音が大きいのと機長が非常に早口で話すので、大変聞き取りにくい。
 耳がいいほうではないが、何とか聞き取った内容は、事故調が解読したものとずいぶん違っている。


【YouTubeアップロード動画】

 09) 日航ジャンボ機 - JAL123便 墜落事故 (飛行跡略図 Ver1.2 & ボイスレコーダー)
 10) 日本航空123便墜落事故フライトシミュレート(機外視点) ニコニコ動画GINZA


【事故調の解読】
    「・・・」は解読できなかった部分、アンダーラインは不確かな部分

18:24:35-36 ?ドーンという音
    37 ? 客室高度警報音または離陸警報音
    38 ①(?) ・・・
    39 ②(CAP) なんか爆発したぞ
    42 ③(CAP) スコーク 77
    43 ④(COP)ギアドア (CAP)ギアみてギア
    44 ⑤(F/E?) えっ (COP) ・・・ (CAP) ギアみてギア
    45
    46 ⑥(CAP) エンジン?
    47 ⑦(COP) スコーク 77
    48 ⑧(F/E) オールエンジン・・・

    51 ⑨(COP) これ見てくださいよ

    53 ⑩(F/E) えっ

    55 ⑪(F/E) オールエンジン・・・

    57 ⑫(COP) ハイドロプレッシャ見ませんか?

    59 ⑬(CAP) なんか爆発したよ
18:25:00

    04 ⑭(F/E) ギア ファイブ オフ



【動画で聞こえた内容】

 「?」は問いかけ。()は確信がないもの。赤の部分が事故調解読と異なるところ。
 時刻は確認できないので「事故調査報告書」に従う。

18:24:35-36 ?ドーン、ドーンと1秒弱の間隔で2回衝撃音
    37 ? 客室高度警報音または離陸警報音 1秒継続
    38 ①(CAP) まずい
    39 ②(CAP) なんか(爆発し)たぞ

    42 ③(CAP) スコーク スコーク この関係(いれ)るぞ
 「この関係(いれ)るぞ」は、恐らく機長が副操縦士に寄って言ったため、副操縦士のマイクから聞こえる。43秒にまたがる。
    43 ④(CAP)ギアみてギア
    44 ⑤(F/E) えっ (CAP) サンキュー (CAP?) ギア
 「サンキュー」は声があまり大きくないので、副操縦士への指示に副操縦士が何かしたことへの返事と思われる。

    46 ⑥(CAP) オーケー?
    47 ⑦(COP) スコーク セブン セブン
    48 ⑧(F/E) オレンギア>(all in gearのこと?) (オールエンジン・・・)

----(資料09の動画はここまで)

    51 ⑨(COP) これ見てくださいよ

    53 ⑩(F/E) えっ

    55 ⑪(F/E) オレンギア>(all in gearのこと?) (オールエンジン・・・)

    57 ⑫(COP) ハイドロプレッシャ見ませんか?

    59 ⑬(CAP) なんか(わか)った? (なんか爆発したよ)
18:25:00

    05 ⑭(F/E) ギア ファイブ オフ





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