鈴木光太郎著 『ヒトの心はどう進化したのか―― 狩猟採集生活が生んだもの』 [読書感想]

『ヒトの心はどう進化したのか―― 狩猟採集生活が生んだもの』
鈴木光太郎 著 ちくま新書 1018 2013.06.10 初版発行

【構成】
はじめに
 生き物の心の特性や能力も、環境への適応によって変化を遂げる。心も進化の産物である。
ヒトの心は、この600万年の間にどのように形作られ、どのような進化を遂げてきたのか?他の動物に比べて、その心はどのような点で特殊といえるか?これが本書のテーマである。

第1部 ヒトをヒトたらしめているもの ―― ヒトの6大特徴
 現在の人類がどのように誕生したのかを観ながら、その中で、ヒトの6大特徴――大きな脳、直立の足歩行、言語と言語能力、道具の製作と使用、火の使用、文化――についてみてゆく。

第2部 狩猟採集生活が生んだもの ―― 家畜、スポーツと分業
 第1部の6大特徴を踏まえて、重要と思うヒトの特性についてみてゆく。とりあげるのは、動植物に対する強い関心、遊びやスポーツ、性差と分業である。これらはヒトが長く狩猟採集生活を送ってきたことの産物として考えると、よく理解できる。

第3部 ヒトの間で生きる ―― ことば、心の理論とヒトの社会
 ヒト特有の社会と社会性について考えながら、それを成り立たせているものが、他者の心を想定するヒトの能力(「心の理論」)と、言語能力だということを論じる。


【所感】
 本書を読む以前のことであるが、内容を知らずに「心の理論」という言葉を最初に聞いた(見た)とき、「心」とは「思いやり」といった類のもの、つまり”heart”だと思ったが、この「心」は”mind”、つまり「思考・意思などの働きをする心(精神)」であり、「心の理論」とは ”Theory of Mind” で、「他者が(自分と異なる)心、即ち、信念、欲望と意図を持つことを理解する能力」(Wikipediaより)であった。

 本書を読んで何となくすっきりしないのは、表題および「はじめに」に書かれた「本書のテーマ」からみると、第1部、第2部の内容とが多少ずれていて、筋が通っていないように見ることにある。第1部、第2部は、それぞれ単独に見れば、ひとつのまとまった知見ではある。しかし、主要なテーマとしての「心の理論」と「言語能力」との関連が(特に第2部で)弱い。元々、非常に困難な課題ではあるが。

 心(“mind”)も言語も物的証拠が残らないから、先史時代を遡ることは難しい。
 世界に異なる文法(統語法)の言語が存在することは、文法が形成されたのは人類が世界に拡散した以降であることを示している。一方で、全ての現生人類が文法を持つ言語を持っていることは、それを形成する能力と原初的な言語を拡散以前から持っていたか、拡散前に既にあった文法(統語法)を、拡散した後に変えたか(これはありそうもない)になる。

 私が以前に読んだ本でも、人類がいつ言語能力を獲得したかについては見解が分かれている。ある人々は、5万年前を想定する。(リチャード・クライン、ブレイク・エドガー『5万年前に人類に何が起きたか』、但し、この著者は出アフリカを5万年前以降としていて、ホモ・サピエンスが出アフリカする前に言語を獲得したとする。)ある人々は、250万年前のホモ・ハビリス以来少しずつ進化してきたとする。(スティーヴン・オッペンハイマー『人類の足跡 10万年全史』)。
 言語がいつ、どのように進化してきたについては、定見がないばかりでなく、そのような探究自体を無意味とする見解もあるようだ。

〇言語についての連続性のパラドックス(the Paradox of Continuity)
 言語は、何かしら先行システムから進化したはずでありながら、言語の進化のもとになったと思えるシステムが存在しない。(デレク・ビットカーン『ことばの進化論』より)

 心(”mind”)の進化となると、更に難しい。心の進化を推定するには(言語の進化もそうだが)、先史時代(あるいは古人類)がどのような社会で、社会の構成員の間にどのような社会構造があり、どのような暮らしをして、その間でどのようなコミュニケーションが必要であったか、を推定しなければならない。


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