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Keith Devlin著 『数学する遺伝子』、 [認識論]

Keith Devlin著:『数学する遺伝子』、早川書房刊、2007.01.31発行

これは2007年に読んだ本。『ロボットという思想』を読んだら、この本を思い出した。
私の様に数学が苦手な人間にとって、数学は、ロボットに人間並みの知能を与えようとするのと“正反対”の苦労を強いる。つまり、数学では知覚認識される物理的な現象や意味と離れて、純粋に抽象的体系の世界だけで思考できることが要求される(⇔記号接地問題)。また、数学では、いかに無限を扱おうと、無限個を一々数え上げるたり列挙したりする必要はなく、有限の関係だけを扱う(⇔フレーム問題)。

【内容】
第1章 数学をするための知性
数学とは、パターンの科学である。
パターンは大部分が高度に抽象的なので、それを記述したり研究したりするには、抽象的な表記法が必要である。

第2章 はじまりは数
 1歳未満の赤ちゃんの算数の能力は、1、2、3という数がかかわる足し算と引き算に限られている。4以上は識別できない。

第3章 だれでもかぞえられる
 対象物の数が3を超えると、急に振る舞いが変わるという事 実は、脳が2つのメカニズムを使っている可能性を示唆している。

〇3を超える数を数える世界の扉
 1) 数える能力
 2) 任意の記号を使って表し、その記号を(言語的に)操作することにより数を操作する能力
 10以上のものについて、周囲の状況に惑わされなければ、集合のサイズをかなりよく見積もることができる。

〇「ウェーバーの法則」:集合のサイズの見積
 二つの集合のサイズの違いを見分けるのは、総数の見積より容易にできる。
 テスト用と参照用の集合の比が一定である限り、(サイズの違いを)同じ正解率で区別できる。

※ 昔、「未開人は3までしか数えられない。それ以上はみな『沢山』になる。」といった話を聞いたことがあった。こういった経験談には根拠があったのだ!算数の能力は、学ばなければ得られない。

第4章 数学と呼ばれているものはどんなもの?
〇数学とは、パターンの科学である。
 パターンとは、心が認識できるあらゆる種類の規則性をほぼ全て包含する。
 数学は、秩序、パターン、構造、および論理的関係性の科学である。

※「パターン認識」は、数学に限らず、また人間に限らず、脳神経系の認識形成方法と考えられる。また、それは「無意識の領域」でなされる。問題解決で意識ができることは、繰り返し問題に意識を集中して無意識の領域の働きを喚起し、それが答えを出すのを待つことだけである。
※パターン認識はどのようになされるかについては、
Paul M. Churchland 著:『認知哲学 - 脳科学から心の哲学へ』、産業図書 刊、1997.09.04 初版発行
にその概念が書かれている。

第5章 数学者の脳は特別か
〇抽象の4つのレベル
 レベル1:思考の対象はすべて、目下の環境で知覚できる実在物である。
 レベル2:思考の対象は、思考者にとって既知だが、目下の環境で知覚することはできない実在物に関する。
 レベル3:思考の対象は、個人がそれについて知ってはいるが実際に出会ったことのない実在物、実在物を想像したもの、想像上の実在物の変形、想像上の実在物の組み合わせなどである。
 レベル4:数学的な思考が生じる場合。実世界と単純な結びつきや直接の結びつきはない。

数学を理解できない人は、理解できないのではなく、数学にとりかかれないのだ!

第6章 生まれつきのおしゃべり
〇チョムスキーの「生成文法」
※チョムスキーの言う「深層構造」とは、脳神経系の接続構造そのものではないか?それは、「3次元空間+時間の立体構造」である。この立体構造上に描かれた事象を「一次元構造」の言語(「表層構造」)に変換しようとすれば、どうしても「構文規則」が必要になる。この構文規則の内容そのものは個々の言語体験から形成される。それを生得的としたのがチョムスキーの誤りであった。

※言語認識は、通常は言語として認識された単語が、知覚認識されたもの(物理的事物・事象、そこから派生した感覚・感情など)と対応づけられる。日常的思考は、言語により示されたそれらの間の関係よりも知覚認識から得た関係により推論される。それに対して数学や論理学では、言語として認識された記号(単語)と記号の間の、言語により規定された関係だけで推論することが要求される。そのためには、それらの関係の脳内配線を強化しなければならない。

第7章 大きくなって話せるようになった脳
〇人類進化の全体像
1) 350万年間という期間の殆どすべてを占めるが、この間に脳は着実に大きくなっていった。脳が大きくなっていったのは、主に脳の持ち主に豊かな世界観を与え(認識できるパターンを増やし)、(特定のパターンの刺激に対する反応というかたちでの)生存を助ける術策を増やし、より効果的なコミュニケーションの手段をもたらすためだった。しかし、脳の構造はほとんど変化しなかった。発達は主に、「変化」ではなく「増量」からなっていた。
2) 最後の20万年あるいは7万5000年前に、脳は大きくはならなかったが、構造が変わった。それは、象徴的思考(すなわち「オフライン思考」)、言語、時間の感覚、複雑な行動プランを立ててそれに従う能力、そして着実に増えていく、多数の人工物を設計、構築する能力をもたらした。

 大きな脳、賢い行動という生存のためのルートは、殆どの期間を絶滅の淵に生きていた種に起こった、かなり命がけのルートだったからではないかと考えられる。
 身体構造は他の種より劣っていた。特定の生息地を持たず、高い順応性を維持して色々な場所や地域に移動しては、そこにある食べ物を探しまわることで生き延びていた。
この生活様式がうまくいくかどうかは、豊かな世界観――多数のパターンを認識する能力――によっていた。

※言語能力はFOXP2遺伝子と関連しているとされ、この遺伝子のヒト特有の変異体が出現したのは20万年前とされ、現生人類の出現時期と重なる。

『オフライン思考』
人間の脳は、外的な刺激によってのみ生み出されるシーケンスを開始するための活性化パターンをどんなものでもシミュレートでき、身体的な反応を必ずしも生じさせることなく、そのシーケンスを実行できる。それは外部刺激によって生じる脳活動ではなく、脳そのものに端を発し、自動的な身体的反応を起こすことなく流れる脳活動であり、「オフライン思考」と呼んできたものである。

〇数学の能力に寄与する心的属性(ピッカートン)
 1) 数の感覚
 2) 計数能力
 3) アルゴリズムの能力
 4) 抽象概念を扱う能力
 5) 因果の感覚
 6) 事実や事象の因果的連鎖を組み立てて、それをたどる能力
 7) 論理的な推論の能力
 8) 関係性の推論の能力
 9) 空間的推論の能力

オフライン思考⇒言語
数の感覚+言語⇒計数能力
6+抽象概念能力⇒3(アルゴリズム)、7(論理的な推論)

※根拠は示せないが、『オフライン思考』即ち意識的思考は、他者とのコミュニケーション(言語によるとは限らない)に由来すると推測している。コミュニケーションには、自己に関する情報(内部情報)と外部(他者)に関する情報をともに必要とする。そして、個々の情報入力により何かを認識したとしても、それで直ちに身体的行動を起こしてはならず、次の反応を待たねばならない場合もある。このようなコミュニケーションをしている間も、無意識のオンライン過程は、身体を維持したり危険を察知したりする機能が平行して常に働いている。

第8章 心のなかから
〇あるものがほかの何かを表象ないし描写できる3つのレベル(チャールズ・サンダース・パース)
 1) アイコン(類像)
 2) インデックス(指標)
 3) シンボル(象徴)

 人間は、ものに名前があるという知識と、その名前を覚えようとする欲求と、憶える能力を生まれつき備えている(あるいはごく早い時期に獲得する)らしい。ほとんど瞬時に、しばしば恣意的な結びつきが形成されるこのプロセスを、指標的表象の形成とみなすことはとてもできない。

〇人間だけができること
 ・(単なる原型言語ではない)言語を使って、しばしば時間的、空間的に隔たった、世界の多様な物、場所、状況、事象について情報伝達をする。
 ・本格的な象徴的表象をもっている。
 ・外界の刺激から独立して、即座の行動を起こすことなく、「オフライン」で思考することができる。過去の事象について考え、未来の事象について推測し、時の経過について考えることができる。
 ・言語を使って架空の話を作り、たがいを教育し、たがいを楽しませることができる。
 ・さまざまな道具や、機能的な人工物、純粋に象徴的な人工物を創り出すことができる。
 ・普通なら人間が生きられない場所に、人間の生活を維持する小環境を創出することができる。
 ・未来の行動について、しばしば綿密なプランを立て、それに従う。(動物では、ホルモンが引き金となる冬の準備のほかは、前もったプラニングの存在を示すような証拠は見られない)。
 ・論理的な推論を通して、世界に対する理解を深め、行動の意思決定をする。
 ・生涯にわたって、さまざまな新しいスキルを幅広く身につけることができる。
 ・集合のなかにあるものの数を数えることができる。
 ・少なくとも一部の人は数学ができる。
〇人間に特有かもしれない能力
 ・自分自身について意識的、自己内省的に考えることができる能力。
 ・「心の理論」を形成する能力。即ち、人の心の状態を想像して、その人の行動を予測使用とするときに働く。

第9章 悪魔がひそみ、数学者が働く場所
数学ができるための鍵は熱意である。
 1) 人は本当に数学を習得する必要に迫られると、必ずそれができる。
 2) 数学は、ある世界を創出してそれを記憶にとどめなくてはならないという負担を心にかける。オフラインの象徴的思考のための能力をどこまで使えるかということには、個人差があるらしい。

第10章 とらなかった道



浅田稔 『ロボットという思想 脳と知能の謎に挑む』 [認識論]

浅田 稔 著 『ロボットという思想 脳と知能の謎に挑む』、NHKbooks 1158、2010.06.25発行

【内容】
第1章 ロボットとは何だろう

第2章 脳の学習の基本を知る
〇脳神経系に関する現代の知見の概要
〇脳神経系を模したロボット制御
 順モデルと逆モデル
 脳神経系のモデルとしてのパーセプトロン
 学習の3モデル:教師あり学習、強化学習、教師なし学習
※ノイマン型コンピュータを用いて人工知能(AI)を実現しようとすると、「フレーム問題」と「記号接地問題」に突き当たる。それに対する解決策として脳神経系を模したパーセプトロンを用いようとすると、学習の問題に突き当たる。

第3章 身体を内側から探る
〇二足歩行ロボット改良の過程
 起き上がりロボット、触覚(触覚スキン、シリコン性の皮膚)、空気圧人工筋、柔らかいハンド(PVDF素子、歪みゲージ)
〇二足歩行ロボットの身体を運動の観点から「人間を映す/人間を理解する」アプローチとして紹介。
 「見た目=外観」の動きだけでなく、「内側」の原理、見た目の動きを実現する内側の原理を知ろうとする姿勢が必要。
※日本における二足歩行ロボットの進歩には目覚しいものがある。その進歩の過程で、どのような考え方の下にどのような技術的改良をしてきたのかということをもっと知りたかったが、著者のレベルではそのようなことはとっくに通り越して興味の外にあるのか、余り書かれていない。著者の関心は専らロボットに知的能力を与えることと、人間らしさを与えることにあるようだ。

第4章 身体が脳をつくる
〇身体と脳の関係
〇構成論的アプローチ
 人間の知能(自ら学習していく能力)理解の「構成論的アプローチ」として、ロボットで人間の知能を構成してみる。
〇認知発達ロボティクス
 認知発達モデルとしての胎児、幼児の研究

第5章 成長するロボットをつくる
※ここで言う成長とは学習のことである。
〇コミュニケーション能力
 例として母音学習、共同注意
〇他者の意図を理解する
 ミラーニューロン:他者の動作プログラムを自身の脳内で再現すること、すなわち、他者の内部状態を自己の 内部状態としてシミュレーションできるとされる。
〇シンボライズ(抽象化)の能力
 (低)イコン⇒インデックス⇒シンボル(高)
〇言葉と心
 言語と心を切り離しては考えられない。
※発声(音による表現)の特徴は、自己の発声も他者の発声も同じように聴覚で聞こえることにある。そこから自己の表現と他者の表現の同一性を認識するのは比較的容易である。それに対して、自己の表情は自分で見ることができない。例えば相手の表情を見てそれが「威嚇」であると認識したとして、自己が相手を威嚇したとき同じような表情をしていると認識しているだろうか?

第6章 ココロが生まれる条件を探る
〇人間の心は、他者との関係から生まれる。
〇道具はシンボライズできないと使えない
※「心」の定義が必要だ!定義不可能かもしれないが、仮にでも「ここでは心をこのように定義する」と定義をしておかないと、ただ著者の主観で「これは心だ」「これは心ではない」と読者には判断できない判定がなされることになる。
 生物には「生き続ける」という個体ごとの目的があり、それが自律的行動を促している。そして、「心」はそこから生まれると思うのだが。一方でロボットの自律的行動の目標は人間が設定している。そうである限り、ロボットのココロは機能や目標を設定した人間の心に他ならないのではないか?

第7章 知能を生み出す困難とは
〇米映画『2001年宇宙の旅』の人工知能ハル、の問題
 「知能」と「身体」の不可分な結びつきが、ハルにはない。
〇記号接地問題。

第8章 人間とロボットがともに生きる
〇知能ロボットの応用
 ・極限作業ロボット
 ・エンターテイメントロボット・コミュニケーションロボット
 ・監視ロボット
 ・知的交通ロボット
 ・フィールドロボット
 ・ホームロボット
 ・災害救助ロボット
 ・介護・介助ロボット
〇ロボットと人間がともに住む社会の実現を見据える。
〇ロボカップとロボシティ・コア

あとがき
 従来の自然科学や人文科学が、それぞれ単独では回答困難だと思われる「人間という存在」に対するトータルな理解を、ロボットをつくることで成し遂げようというのが著者の狙い。この試みそのものを「ロボットという思想」と名付けた。

※ロボットを自律的に任務を果たす道具として見た時、人間の形をしている必然性は少ない。人間の体は汎用的ではあるが専用的ではないし、人間は多くの作業を人間自身の体だけでなく「専用の道具を使って」するからである。それなのに何故人間に似せたロボットを作るのか?それは知的好奇心の為せるところに違いない。それがどのように役に立つかは将来になってみないと分からない。

同じような内容の本に
石黒 浩 著 『ロボットとは何か 人の心を映す鏡』、講談社現代新書2023、2009.11.20発行
がある。


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