Joseph Heath著 『資本主義が嫌いな人のための経済学』 [読書感想]

Joseph Heath著 『資本主義が嫌いな人のための経済学』
(原題:Filthy Lucre: Economics for People Who Hate Capitalism; by Joseph Heath, [コピーライト]2008)
栗原百代 訳 NTT出版 2012.02.16 初版 03.30 第2刷発行

著者はカナダ出身の哲学者。
著者は「本書の経済学的発想の多くを『規格外』とお感じの読者もいるだろうが、あいにく私は、規格どおりの古風な合理性にもとづくアプローチを支持している」(p.352)と書いているが、本書の内容は少しも「規格外」と感じられない。全般的に言えば「主流派経済学」の立場から見た、アメリカ右派および左派による経済的主張の誤りを指摘する内容である。
啓発されるところも少なくないが、「主流派経済学」に対する疑問はそのまま本書の主張に対する疑問となる。

※内容に対する疑問として、
1) 自由貿易擁護(第5章)
2) 過剰生産の誤謬(第9章)
3) 格差の軽視(第10章)

【概要】
第1部 右派(保守、リバタリアン)の謬見
第1章 資本主義は自然 ―― なぜ市場は実際には政府に依存しているか
 私利の追求だけでは「自生的秩序」は生じない。
〇「合成の誤謬」:個体にとって良い適応が、種にとっても良いものである必然性はない。
 市場が自然に生じることはできない。市場は国家によって創られ、その基本ルールが施行されなければならない。

政府の必要性に異存はないが、「市場が自然に生じることはできない。市場は国家によって創られた」というのは、歴史的事実に反する。産業革命後市場経済が資本主義経済になったことで、政府による統制が必要になった。また、政府の介入のない資本主義と経済発展は優勝劣敗を昂じさせ「市場の失敗」が生じたと見るべきだ。

第2章 インセンティブは重要だ ―― そうでないとき以外は
〇「最後通牒ゲーム」の回答
 最後通牒ゲームとは「2人のプレーヤーがお金を渡され、両者がそれをどう分けるか同意している限り、自分たちのものにできる。先ず、一人だけが全額を与えられ、もう一人に対して一回きりの二社一択の提案を持ちかけることができる。提案の受け手がこれを受諾すれば、提案通りに金額が分けられ、拒否すればお金は実験者に戻されてしまい、プレーヤーは二人とも稼ぎゼロとなる。」
 「合理的な行為者」は、最小限の分け前を提示されてもゼロよりはましだから、それを提示し受諾されると期待される。しかし、実際の実験では、提示額が少なすぎても多すぎても受諾されない

〇“行動はインセンティブに支配されている”という主張の誤り。
 経済学者のいう人間の合理性やインセンティブへの反応についての仮説は、甚だ単純化しすぎたものである。
経済学者のインセンティブ熱を冷ますために必要な2つの理解:
 1)  インセンティブだけが重要なのではない。
 2)  インセンティブは往々にして途方もなく複雑なものである。

第3章 摩擦の無い平面の誤謬 ―― なぜ競争が激しいほどよいとは限らないのか?
〇『次善の一般理論 (The General Theory of Second Best)』(K. ランカスター & R. リプシー)
 効率性に求められる条件が1つでも破られていたら、「次善」が、他より効率的である保証はない。
モデルと現実がある程度類似しているというだけでは、そのモデルが現実に適用できるという保証にはならない。
経済学者の語る「効率性」
 通常の効率性は「手段」に対して使う。
 経済学者は、結果が効率的か非効率的かを語る。:「パレート最適」(誰かが損失を出さない限り誰も新たな利益を得られない状態。)

第4章 税は高すぎる ―― 税は高すぎる
〇税制は共同購入の一形態である
 税金は本来よくないものという見方、また税率は高いより低いほうが好ましいという考え方は馬鹿げている。重要なのは、個人がどれほど公的部門から(サービスを)購入したいか、そして政府がどれだけの価値を届けられるかである。
〇減税が経済を「刺激する」という広く蔓延った迷信にも、同様な誤りがある。

第5章 すべてにおいて競争力がない ―― なぜ国際競争力は重要ではないのか
〇基本的に貿易は競争関係ではない
 貿易は協力関係であり、双方のためになる。そうでなければ貿易はしない。
 「重要なのは、金持ち国家と貧乏国家のあいだの貿易もまた他のすべての貿易と同じく、自分は勝ち相手は負けるという関係ではなくて、双方が勝つ(ウィン・ウィンの)取引であることだ。」(エピローグ)

【疑問】
この章は、現代的な「グローバリズム」対「反グローバリズム」ではなく、古典的な「自由貿易」対「重商主義(保護貿易)」の観点から自由貿易擁護が論じられている。
資本移動の自由化されたグローバル市場は、国内市場と変わるところがない。競争により優勝劣敗が生じることも変わりがない。現実は少しも「ウィン・ウィンの関係」になっていない。保護主義的傾向は、それへの対処の一つである。また、グローバル市場にはそれを統制する世界政府が存在しない。各国政府は市場統制力が弱まり、税収不足に悩まされている。本章の著者の主張は、市場経済には国家(政府)が必要という第1章の著者の趣旨に反する。

第6章 自己責任 ―― 右派はどのようにモラルハザードを誤解しているか
〇「自己責任」の要求とは、モラルハザードへの対応としての自己保険の要求である。
 保守派の感覚が間違っているのは、モラルハザードの問題があることを指摘するだけでも「自己責任」への 回帰の主張には十分だと考えていることである。
〇「費用計上、便益無視
 政府がしようと民間がしようと、全ての共有や相互扶助(主として保険を念頭に置いている)には、モラルハザード(ただ乗り)を起こす分子が生じる。その一方で、共有や相互扶助には便益(利益)も存在するのであるから、モラルハザードによる損失(余分な費用)だけでなく、利益も見なければ正しい判断はできない。利益が費用を上回る場合には、モラルハザードの費用がかかるからという理由だけで共有や相互扶助を捨てる理由にはならない。
〇自己責任の非効率性
 自己責任制で、個人単位でリスク費を留保するのは、社会的に見れば非効率である。
 リスク共同管理の保険では、大数の法則に従い、リスク発生確率分まで留保を低減できる。

第2部 左派(革新、リベラル)の誤信
第7章 公正価格という誤謬 ―― 価格操作の誘惑と、なぜその誘惑に抗うべきか
 本章と第10章、第12章は、同じ内容である。
〇価格操作によって社会的公正という目標を達成しようとすべきでない理由
 1) 分配の公正という観点から非効率である。
 2) 資源の不適切な割り当てによって多くの無駄が生じる。

第8章 「サイコパス的」利潤追求 ―― なぜ金儲けはそう悪くないことなのか
 資本主義を強欲と批判することへの批判:
 1)  「営利」と「私利」の混同
 2)  「社会」が企業に利潤の最大化を白紙委任しているという、広く流布している印象

第9章 資本主義は消えゆく運命 ―― なぜ「体制」は崩壊しなさそうなのか(しそうに見えるのに)
 恐慌や金融危機が発生しても、それは資本主義の崩壊を示すものではない。
〇過剰生産の誤謬
〇需要不足に見えるもの
 景気後退の見かけは需要の全般的な不足である。
 生産されてきたものを購入する「支払い手段」を消費者が欠くことはあり得ない。(J.S. Mill)
〇「セーの法則」:財それ自体から財の需要が生じる。
〇貯蓄のせいで供給過剰が起こるのではないか
 銀行預金は退蔵とは異なる。
 貨幣の価値のように機能する金利は、ほかの希少性価格と同じように需要の変化に反応して、貯蓄と投資の市場に均衡をもたらす。

【疑問】
過剰生産は「誤謬」ではなく現実に存在する。経済は、「過剰生産力」なくして存続し得ないし、また「競争」も起こり得ない。
著者の論旨の大部分は新古典派以降の「均衡仮説」に基づくものだが、現実の経済は、特に経済発展している経済は不均衡である。従って論拠の大部分は現実に対して意味をなさない。

第10章 同一賃金 ―― なぜあらゆる面で残念な仕事がなくてはいけないのか
 労働の価格は他の商品と同様に需要と供給の関係から決まる。強制的に価格を決める試みは成功しない。目的が平均的労働者の福祉の増進であるならば、分配の問題にこだわりすぎるのは得策ではない。経済成長の効果が重要。
〇均等化傾向
 1) 全体の平均賃金の上昇
 2) 能力の高い従業員がさらに急上昇。(それにより内紛を避けるために全体的に上がる。)

【疑問】
本章および第12章について、現在先進諸国で問題となっているのは、「全体の平均賃金」ではなく、「格差増大、2局化傾向」である。著者の主張は、 "trickle-down”理論と同様なものであるが、これで格差の劣位側が納得すると考えているとすれば、著者自身が第2章の「最後通牒ゲーム」の実験の結果を理解していないことになる。
目的が平均的労働者の福祉の増進ではなく、格差の縮小、あるいは生活保護以下の賃金の引き上げにあるならば、ここで論じられていることは意味をなさなくなる。

第11章 富の共有 ―― なぜ資本主義はごく少数の資本家しか生みださないか
 貧困者の「資金管理能力のなさ」を根拠に、富者のあり余った金を貧者に与えるような試みに対する批判。
〇「貧困者の思慮のなさ」(「資金管理能のなさ」)
 貧困者は、ただ金銭の不足に苦しんでいるだけでなく、手持ちの金を使うときに非常に悪い選択をする。異常なほどこらえ性がないせいで貧しくなると考えるもっともな理由がある。
〇「双曲割引」:近い将来で遅延の影響が大幅に誇張される。

〇低SEC (socioeconomic status)の人(資金管理能力のない人)は、双曲割引で未来を見る。
 左派は、「貧困者の思慮のなさ」を否定し、この現象を専ら陥った状況の産物だと言い張る。
 「教育の拡充」⇔自分から進んで学ぼうとしない人を教育することはできない。
〇インセンティブの再構築
 「家族手当」:育児をしっかりしないと、毎月の生活保護がもらえない。
 社会の全員に成人時一定の資金を給付するという案:将来の資金とせず、すぐに使ってしまう者が必ず出る。
〇問題回避の方法の一つ、クーポンを与えること

第12章 レベリング・ダウン ――平等の誤った促進法
レベリング・ダウン
 平均より下の人の状態を改善する代わりに、平均より上の状態を悪くして平等を達成する。
〇平等と効率のトレードオフ:
 平等と効率の間に必ずしもトレードオフがあるわけではない
〇「良い再配分」「悪い再配分」
 悪い再配分:「累進的」再配分
 良い再配分:政府は、景気拡大時に黒字計上、景気後退時には赤字財政支出をする。


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