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古澤満著 『不均衡進化論』 [進化論]

古澤 満 著 『不均衡進化論』、筑摩選書0005、2010.10.15 初版発行

この本の内容は、不均衡進化理論(説)、および進化一般に関する著者の見解の紹介である。
不均衡進化理論とは、「変異の閾値」問題に対する一つの回答として著者が提唱する説である。

【内容】
目次
第1部 進化論の常識を疑う
※ 第1部は、進化論の概説と総合説に対する著者の疑問。
 第1章 進化とは何か
 第2章 進化と時間
 第3章 進化、解けない謎

第2部 不均衡進化論
※ 第2部は、不均衡進化理論の説明。
 第4章 奇妙にして巧妙なしくみ
 第5章 不均衡モデルと均衡モデル
 第6章 進化加速を実験する

第3部 進化の意味と可能性
※ 第3部と第4部は、進化一般に関する著者の見解。
 第7章 残された課題と不均衡進化論の未来
 第8章 不均衡進化論からわかること
第4部 生命と進化
 第9章 生命の美学


「変異の閾値」問題とは
ダーウィニズムの進化論は
 ①変異体の発生
 ②自然選択(変異体の間で生存競争が行われ、適者が生き残る)
から構成される。
 ここで、変異の発生が全くのランダムな現象であるとすると、
変異の発生頻度が大きすぎれば、環境が一定の場合でも変異が集積し、やがて現在の適応状態から逸脱して、生命は死滅してしまうことになる。
変異の発生頻度が小さすぎれば、環境の変動時に変異による適応が追いつかず、変化した環境に適応できずに生命は死滅してしまうことになる。
 すると変異の発生頻度は、現状への適応が崩れるほどには大きくなく、環境変動に追い付けないほどには小さくない程度でなければならない、ということになる。これには、生命とはそれほど危うい存在なのか?という疑問が生じる。

「不均衡進化理論」とは
 変異の大部分は、DNA複製過程で生じる。
 DNA複製時、「二本鎖」のうち一方は連続して複製される(本書では「連続鎖」)が、もう一方は断片状に複製されたものが結合されて一本になる(本書では「不連続鎖」)。このうち、連続鎖は変異の発生が極めて小さく、不連続鎖は変異の発生が比較的大であれば、環境変動のない場合には変異発生の小さい連続鎖側により現状が維持され、環境変動が発生した場合には変異発生が大きい不連続鎖側で変動に追従することで、「変異の閾値」問題が解決できる、というものである。
 著者はこれを「元本保証された多様性の創出」と称している。

 但し、これは理論あるいは仮説であって、不連続鎖の変異発生率が連続鎖より大きい、あるいは変異は不連続鎖側が主に担っているということは、証明された事実ではない。

 この著者の「不均衡進化理論(説)」が当たっているとは思わないが、「閾値の問題」には興味がある。
 知られている限り生物は、必要が無いのに変異が集積して適応性が変わってしまい滅びたということは聞いたことが無い。その一方で、適応が必要なときにはかなり速やかに変異が起きて変わっているように見える。このような「断続平衡説」的な見方は一般に否定されているが、その否定の根拠にも納得はしていない。

コクラン&ハーペンディング『一万年の進化爆発 - 文明が進化を加速した』 [進化論]

George Cochran, Henry Harpending著 『一万年の進化爆発-文明が進化を加速した』、日経BP社刊、2010.05.31 初版発行

”はじめに”によれば、著者はこの本で、次のことを主張している。

〇「人類の精神の斉一性」の誤り
現生人類が約5万年前にアフリカから各地に拡散したときに、人類の進化は止まったとされていた。これが誤りであることに疑いの余地はない。人類の進化は続いてきた。

〇社会科学の新しいやり方
進化論から示唆されることを真剣に受け止める一方、立証されていない人類学的学説をすっぱりと切り捨てる。このやり方は、遺伝学に大きく依存している。

〇「遺伝歴史学」
人類の自然選択に影響を及ぼした歴史的要因。特に、新規な望ましい対立遺伝子(遺伝子の変異体)の出現と広がりに関係のあるもの。選択圧を変えたり、遺伝子流動に影響をおよびしたりするもの。
従来の社会科学では、脳のソフトウェアの変化、つまり、慣習、神話、または社会構造などの文化の発達に関心がもたれた。
遺伝歴史学では、基盤となるハードウェアの変化、つまり、体と脳の変化を扱う。

〇この本の対象
旧石器時代のヒトの革命、農業革命、ヨーロッパのアシュケナージ系ユダヤ人の現代における発展。

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進化論が正しいとすれば、現代が進化の最終段階であるとする理由はどこにもなく、現在も進化は進行中であっても何の不思議もない。

人間の形質の形成は大別すると、①遺伝的(生得的)要因、②乳幼児期における特に脳神経系に影響する環境要因、③その後の文化的環境要因、が関係するので、ある形質の差異が生得的か環境によるかという判断は非常に難しい。しかし、一般論として
・異なる育ち方、異なる文化的環境にあるすべての人間の間で同じ形質を示すならば、それは人間に共通な「生得的」な性質である。
・同じ育ち方、同じ文化的環境にある人間の間で異なる形質を示すならば、それは「生得的」な差異による。
と言える。

5万年前から人類集団が世界中に分散していったとすると、それぞれの集団は、異なる環境で異なる「選択圧」を受けたことは間違いない。実際それによって外見的な選択(皮膚の色、体型など)が生じたのだから、機能的な形質(が遺伝子に依存するのであれば)についても選択が生じることはあり得る。それが、5万年前に既に持っていた対立遺伝子の「プール」の中から選択されたのか、5万年の間に新たな変異が個別の集団に生じたのか、恐らくどちらもあり得るのであろう。
著者によれば、さらに、農業社会、近代社会が、同様に「選択圧」となり、それらに適した形質を持った人間が支配的になってきている。文化的進化(生活様式の変化)と生物学的進化が相互に関連して進化が加速されている、という。

家畜や栽培植物の品種改良程度の変化であれば、強い選択圧により比較的短期間に達成される。これは主として既に存在する対立遺伝子(変異種)の固定化である。
どの人間集団にも存在する形質であるが、集団間で平均値に有意の差があるとすれば、それはその形質について集団が分離する前から存在した対立遺伝子に対して異なる選択圧が働いた結果といえる。
また、病原体に対する防御機構のように、ある人間集団には存在するが、他の人間集団には全く存在しないといった形質は、集団の分離後に新たに獲得された形質といえる。

他のブログ(philosophy_of_biology)にも書かれていたが、この本の中で著者が主張の例として示しているものには、反論が存在し、決着の着いたものではない。
例えば著者は、インド=ヨーロッパ語族の起源で「クルガン説」を採用しているが、最近の言語学的研究では「アナトリア説」が優勢である。

ダーウィンを含む理性ある人々が注意を喚起しているのは、「進化」(evolution)という言葉から生じる誤解である。進化は、ある環境に対する適性・不適正あるいは有利・不利の結果としての変化を意味するだけで、それを離れた「優劣」とか「望ましい/望ましくない」といった価値観は存在しない。(この本の中で少なくとも1回「望ましい」が使われている。)
人間の主観を離れれば、人間と病原菌との争いでさえ、一方が善で他方が悪ということを意味しない。

そうは言っても、現実の社会の中である形質における優劣は、実際に個人に影響を与えている。学者の見解とは無関係に、形質に個人差があること、その多くが「生まれつき」のもののように見えることは、常識とも言える。しかし、その差が「全くランダムな偶然の結果」というのと、「遺伝的、血統的な差異」というのとでは、受け止め方に大きな差が生じる。
新たな知識は、使い方によっては一部の人々に新たな不幸を生じさせる場合もある。

内容と関係ないが、訳書p.189に「スエビ族はガリチア(ウクライナとポーランドにまたがる領域)に落ち着いた。」とあるが、これはスペイン北東部のガリシア(Galicia)地方のことであろう。


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